欅坂46のセンターを務める平手友梨奈主演の映画『響』はすでに2回見ました。平手友梨奈の存在感と見ていて爽快感がある感覚。それでいて見終わった後に考えさせられる映画です。
映画『響』についてはすでに記事を書いていますが、鮎喰響(あくいひびき)としてではなく平手友梨奈という人物を掘り下げていく中でまた違った感覚が自分の中で出てきたので過去記事の追記の意味も含めて書いていきたいと思います。
平手友梨奈から鮎喰響に改名?
\ついに公開! 映画『響 -HIBIKI-』は明日から/
映画『響 -HIBIKI-』が明日9月14日にいよいよロードショー。
映画の中にはガストのお店も登場しています。どこのお店かは劇場でぜひチェックしてくださいね。 pic.twitter.com/FlYJ3ZdFCM? ガスト【公式】 (@gusto_official) 2018年9月12日
映画『響』は本当にすごい映画で、映画が始まった最初から平手友梨奈のソロ曲が流れるエンドロールまで平手友梨奈が圧倒的な存在感を見せつけている映画です。アイドルが主演をする映画といえば事務所がタレントを売り出すための戦略として主演をやらせると思われがちですが、そんなことを言っているのは映画を見ていない人でしょう。
これは作中にも出てくる表現で、「見てもいないのに語ってんじゃねーよ!」と言いたくなります。
映画を見て平手友梨奈に魅了された自分は彼女の演技力はすごいものがあったと感じました。作中の平手友梨奈は鮎喰響そのものにしか見えなかったからです。
欅坂46特集が大々的に組まれた『QJ Vol.135』での平手友梨奈インタビュー記事。
そこにはこんな言葉が綴られています。
平手:私が言ってる「大人は信用できない」っていうのは・・・なんていえばいいのかな、事務的だったり、「とりあえずやってます。」って感じが大っ嫌いなだけなんです。TAKAHIRO先生とかスタッフの方々みたいな本気の熱を持った生き方をしている人達のことじゃなくて・・・
『QJ Vol.135』平手友梨奈単独インタビュー記事より引用
そして『別冊カドカワ 欅坂46総力特集20180918』で映画『響』について彼女が語る記事ではこんなことを言っています。
『響』の撮影が全部終わった時は、平手友梨奈の中にはどんな感情があった?
平手:「ずっと響でいたい」。名前も、改名したかったです。鮎喰響になりたかった。
マジか!
平手:秋元さんに言いましたもん。「改名したい」って。そしたら「いいよ」って言ってました(笑)
『別冊カドカワ 欅坂46総力特集20180918』平手友梨奈単独インタビュー記事より引用
結果的に改名することはなく現在も平手友梨奈の名義で活動を続けているわけですが、問題の論点はそこではなくずっと鮎喰響でいたいと語っていることです。それだけ鮎喰響でいる時間は心地よかった。
映画『響』に登場する鮎喰響は大人の事情とか、建前とか一切関係なく自らの思う正義を貫いてきます。
そう考えたときにこれまで平手友梨奈が演じる鮎喰響はすごいとお伝えしてきた部分がどうしても適切ではない気がしてきました。なぜなら鮎喰響とは平手友梨奈そのものだからです。
平手友梨奈自身がどれだけ自分に正直で世間に迎合しない性格であったとしても、さすがにムカついた大人に近づいていってハイキックをお見舞いするわけにはいきません。でも鮎喰響はそれをやっちゃう。平手友梨奈が日頃抱えていた情熱のない大人への鬱憤を鮎喰響という姿を借りて発散できたわけです。
だから鮎喰響でいる時間が好きで改名したいとまで言わせた。もうそれは平手友梨奈の内面を具現化したものが鮎喰響だったということに他ならないのです。
平手友梨奈は妥協を許さない
平手友梨奈は情熱のない事務的な発想を極端に嫌う性格であることが分かりました。こんな彼女の言葉を受けてあなたは何を感じますか?
さすがてち!かっこいい!
と思う人もいれば
そうはいっても会社に勤めてればとりあえずやっておかなきゃいけないこともあるのよ
と自らの実情と照らし合わせて反論したくなる人もいるかもしれません。
僕が芸人をやっていたときコンビを組んでいた時期があります。ネタを考えてネタあわせをしていく中で意見がぶつかることはよくあることです。芸人をやる人間なんて自分が一番おもしろいと思っているので自分が考えたネタには自信をもっています。だから、なかなか譲れないのですが、お互いが意見をぶつけあっていても時間ばかり過ぎて前に進みません。
そんなときは自分としては80点ぐらいかなと思うものでもOKにしていました。お金を払ってお客さんに観に来てもらう以上、100点狙って20点になるぐらいなら80点でも確実に獲りにいくことを選びました。
この話をある役者さんに話したときに言われました。
「それは違うよ。お金を払って観に来てもらっている以上は100点を狙いにいかなきゃダメなんだ。それで結果的に0点になったらごめんなさいって謝ればいい。そのときの全力を見せることこそが礼儀なんだよ。」
本当にその通りだと思いました。
お互いが80点でいいやと妥協してできたネタは自分では100点からマイナス20点引いた点数だと思っていたら、相方もマイナス20点引いてるわけだから仕上がりとしては60点です。
ただでさえ実力がない若手芸人が60点の仕上がりで披露したら結果がどうなるかはやる前から明らかです。芸能界を会社の理論に当てはめて考えること自体が間違っています。
とはいえ、妥協しないって大変な作業ですよね。
平手友梨奈の声が出なくなったのはアルバム制作の最中です。制作期限が迫る中で早く録らないと間に合わない。それなのに彼女は声を失っている。妥協しないと言葉でいうのはかっこいいですが仕事をしていれば納期を近づいてきたときの気持ちは分かると思います。クオリティよりもとにかく間に合わせることを優先したいと考えるのは当然です。
それでもディレクターは焦らなかった。彼女の気持ちの整理ができるまで待った。部屋を暗くしたり、人を最小限にしたり、食事に連れていったりもした。
映画『響』の出演オファーについてもそうです。なかなか出演OKの返事を出さない平手友梨奈を焦らず、彼女が納得するまで話し合った。納得してしまってからは結構すんなりいくことも多いようですが、とにかくクオリティの面と納得できるかどうかの2点はかなり時間がかかるタイプということもあり周りの大人は大変でしょう。
こうやって1つのものを納得のいくまで話し合いながら情熱をもって取り組みことが好きな彼女にとって、欅坂46が進むスピードはあまりにも速すぎるのかもしれません。
欅坂46の今の忙しさを考えたらどうしたって納得いく前に結論を求められることも出てくるはずです。そのことは彼女の性格からしたら許せないことです。
鮎喰響は言った「なんで殴らなかったの?」
「平手友梨奈=鮎喰響」であるとお伝えしました。鮎喰響は暴力性をデフォルメしていることはたしかですが、本質的な部分では平手友梨奈とイコールです。
映画『響』の中で僕がもっとも印象に残っているシーンがあります。
鮎喰響の編集担当者を務めている花井ふみ(北川景子)がいきなり殴りかかった鮎喰響に言います。
花井:なんてことをしてくれたの!
鮎喰:ごめん、でもふみはなんで殴らなかったの?
ここでの鮎喰響の返答はけして反論ではありません。素朴な疑問として聞いています。私には殴らない理由が分からないという意味合いが含まれた言葉です。
この言葉を聞いたときに以前会社でミスをしたときに罵倒してくる上司の顔が浮かびました。そのときの自分は失敗した自分を責めるばかりでひたすらに耐えていたんです。でもあとになってから振り返ってみると自分のキャパを超えた業務内容で、あそこまで責められる筋合いはないことでした。
今になって思えばいっそのことぶん殴ってから辞めればよかったと思ってしまいます。
誤解のないように言っておくと暴力という行為に訴えることを肯定しているわけではありません。どれだけ鮎喰響がロックな生き方をしようと相手の後頭部をパイプ椅子で殴ったり、ハイキックをかますことを肯定はできません。
しかし鮎喰響が何の疑いもなく「なんで殴らなかったの?」と言っているのを見て、自分にはパワハラをしてくる理不尽な上司に対してさえ反旗を翻して殴るという選択肢すらなかったことに気づかされるのです。
実際に殴るかどうかが問題ではありません。自分の意見を主張する。間違っていないことを間違っていないと主張する。そんなことすらできずに自分を責めるのはやっぱり違うということです。
映画『響』の中にはこういった私たちが社会で生活していく上で当然のこととして、いや、正確にいうと諦めや妥協の産物として自分の気持ちに蓋をして納得させているものを鮎喰響は真っ向から否定してくるのです。それは見ていてなんとも痛快でありながら自分がいかに本音と向き合っていないかをえぐられるようで苦しくなる映画でもあるのです。
平手友梨奈の欠落こそが欅坂46という物語をおもしろくする
平手友梨奈が主婦層に刺さる理由 https://t.co/5Li0UknRBg pic.twitter.com/7ThN3RFahx
— 平手友梨奈⊿欅坂46@全力応援動画bot (@hirateyurina_05) 2018年10月27日
映画『響』において鮎喰響は芥川賞と直木賞を同時に受賞する天才少女として描かれながら、一般常識が通じない危険人物としても描かれています。映画として見ている分にはずば抜けた長所と露骨な欠落があるほうがおもしろい。
漫画『スラムダンク』の桜木花道もバスケ初心者で、自分の気持ちを制御できないなど欠落がいっぱいありながらも必死に奮闘して成長する姿が共感を呼びます。
フィクションの世界において欠落とはイコール短所ではなく、長所を引き立てるためのスパイスという意味合いが強いのです。
それなのに現実世界では欠落は誹謗中傷の標的となります。欅坂46のセンターでずば抜けた才能を見せる反面、笑わない、やる気がないように見える平手友梨奈の欠落部分ばかりを強調した見方も多いです。
叩いている人たちの言ってることの多くが正論であることも知っています。実際に気持ちが入っていないように見えることもあります。
でも欠落こそがキャラクターの魅力にもなっていると考えれば欠点を見つけて叩いている行為って、自らの手で物語をつまらない方向へ誘導しているようにしか思えないんですよ。鮎喰響がたんなる天才少女で人格者だったら物語は成り立たないし、桜木花道がディフェンスもできて3点も狙える選手だったらおもしろくもなんともないでしょう。
欅坂46の平手友梨奈が見せる才能とファンをヒヤヒヤさせる危うさこそ欅坂46という物語をおもしろくさせていると考えれば平手友梨奈への見方も変わってくるんじゃないでしょうか。
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