欅坂46『黒い羊』MV考察Vol.2 センター平手友梨奈は生きている?意味を徹底解釈

欅坂46

欅坂46の8枚目シングル『黒い羊』のMVが公開されると同時に、その世界観の解釈に多くの議論が巻き起こっています。すでに自分もMVの解釈に関する記事はアップしてあります。

欅坂46『黒い羊』MV解禁!ストーリーの意味の考察とセンター平手友梨奈演じる僕について

2019.02.01

自分は僕(平手友梨奈)はすでに亡くなっていると見ていて、MVの内容は僕の死後の世界と解釈しましたがTwitterを見ていると僕はまだ生きているという意見も多く見られました。そうか、そういう見方もあるのかと気づかされる部分もあったので前回の記事とは違った視点で物語を見ていきたいと思います。

欅坂46『黒い羊』MV考察 平手友梨奈は生きている?

僕は生きているという解釈でMVを見ていくというのは自分で書いた記事を自己否定することになるわけですが、今回は完全に生きていることを前提に話しを進めていきます。

0:13~自殺現場を見つめる僕

厳密にいうと自殺とも断定できない映像ですが、おそらく飛び降り自殺の現場でしょう。僕が自殺したと思った理由はその後のMVの展開だけでなくマーキングされた遺体の周りに赤いものが見えるじゃないですか。これは僕が持っていた彼岸花だと思ったわけです。

マーキングされた内側には赤い部分がないことを考えると遺体は仰向けに倒れていたことを意味していて、飛び降り自殺の可能性が高いです。他殺だと前に倒れる可能性もありますからね。

僕は生きていると解釈すると最初の遺体の映像は僕が救えなかった命ということになります。

0:25~僕が感じた無力さ

救えなかった命が僕にとってどういった関係性の人物だったかまでは分かりませんが、その後の展開で僕は苦しむ黒い羊たちを救おうとしてます。僕は自殺という最悪の結末によって僕自身がいかに無力であるかを痛感したわけです。

自殺をしてしまうような子なのだからその後に出てくる尾関、ふーちゃん、しーちゃん、守屋、織田、ゆいぽんへと流れていく絶望的な状況と似たような状況にその子もあったのでしょう。

自殺現場で表現した救えなかった命、もう二度とこんな悲劇は繰り返さないと誓う僕。

しかし、世の中にはさまざまな環境の黒い羊がいる。こんなにも苦しんでいる人を前にして僕は何もできないのか。黒い羊たちは永遠に黒い羊のままでいることが宿命なのか。僕の中での葛藤が始まります。

1:08~僕は決心する

いじめだったり、罵声を浴びせられたり、頭がおかしくなりそうな場面を横目に通りすぎてきた僕もゆっかー(菅井友香)の場面で再び登場します。具体的にいうと1:08前後から始まる病室で家族が亡くなってしまいうつむきながら泣いている子の場面です。

冒頭の自殺現場から始まる救えない命や黒い羊たち。

僕はどうすればいいんだろうと悩んだ結果愛を持って抱きしめるという行為を選択します。亡くなった人を生き返らせることはできないかもしれない。でも僕には抱きしめることはできる。という、今自分ができることはこれしかないんだと決心します。

ただそうはいってもゆっかー、しーちゃんには突き放されているところを見ても、黒い羊たちにとっては「あなたに何が分かるの」と余計なお世話だと言われているようです。たしかに大切な人が亡くなった直後だったりすると愛も素直には受け取れないものなのかもしれません。

1:18~愛を受け入れ始める

ゆっかー、しーちゃんに拒絶された僕は次にゆいぽんのところへ。

女子高生二人組にいじめられて無気力状態になってしまっているゆいぽんを救うために割って入ります。必死になって救おうとする僕。そんな僕からの愛も一度は拒絶するゆいぽん。しかし、僕の必死な叫びに心が動かされたのか僕に抱きしめられてから以降は完全に僕からの愛を受け止めています。

愛への拒絶は本当の意味での拒絶ではなく反射的に拒絶してしまっただけで本当は誰かに助けてほしかったわけです。

そしてゆいぽんを抱きしめているときにはお金が舞い、逃げ惑う人々。

頭がおかしくなるほどのいじめを受けている子にとっては、世の中で価値があるとされている象徴のお金さえも無力で、愛をもって抱きしめてあげるしかないんだと訴えてきているように見えます。

2:15~家庭環境に問題を抱えた子

階段を昇り終えて左折すると大声で言い争っている大人と、その先にいる尾関、織田、上村の3人がいます。

尾関は冒頭にもちょっとだけ登場していて親が相当厳しい環境で育ったことが分かります。織田は親からなのかは分かりませんが何かを言われてパニックになっているシーンがありました。むーちゃんはこのシーンが初登場だったような気がしますが前半て出てないですよね?ぬいぐるみを抱えていることを見ると内向的な印象を与えるので心を閉ざしたタイプなんだろうなと想像します。

ヒステリックになっている大人との対比で表現される無感情な3人。

黒い羊を黒い羊にしてしまっているのって大人なんじゃないかと言っているように思えます。

2:27~今の私を見てくれない親

幸せそうな家族を通り過ぎると写真の前にたたずむ夫婦が見えます。これ幸せな家庭と不幸な家庭の対比であることは間違いないとして、当初写真に写る子は幼くして亡くなってしまったんだと思ったんです。でも幸せな家族の後ろを緑の服を着た女が歩いていて、すぐにフレームアウトしていきます。

写真に写る子は幼い女の子ということは写真の子は緑の服を着た女ということでしょう。服装からして不良っぽくなってますね。

女子高生ぐらいの年齢になって家族との関係がうまくいかなくなり、親は幼い頃の子供ばかりを懐古し今の娘を見ていない。そんな構図にも見えてきます。

ただ17歳18歳の子供を持つ親にしては若すぎるんですよ。40歳ぐらいの役者さんならまだしも見た感じ20代の夫婦って感じじゃないですか。だから緑の服を着た女と写真の前にたたずむ二人をリンクさせるのは難しくも思えて解釈に迷うところでした。

3:21~子供から彼岸花を受け取る僕

光の先を抜けると階段の上に子供が立っていて僕は彼岸花をその子からひざまづきながら受け取ります。

階段の両サイドにはロウソクが置いてあることから死語の世界を感じさせ子供は神のような存在です。彼岸花を渡されたということは「君はもう死んでいるんだよ」という暗示にもなっていると解釈したわけです。

しかし、僕は生きている存在で、死の世界に踏み込んできそうな人をギリギリのところで救う存在だとするなら・・・ん!もしかして子供のほうが死んでるのか!!と思ったんです。

だって彼岸花って贈答花としては好まれない花じゃないですか。花そのものは綺麗ですが、どうしても不吉なイメージがつきまとう。

そんな彼岸花を持って立っている子供となると、その子供自身がすでに亡くなっているとも考えられます。

亡くなった子供の思いが彼岸花には込められていて、子供の思いも背負いながら僕はみんなを守るために戦うんだ!と教会で神にお祈りを捧げるような意味合いで捉えることはできないでしょうか。

みんなが黒い羊のときもあれば白い羊のときもある

1月28日月曜日に放送されたラジオ番組『ゆうがたバラダイス』にゲスト出演した小林由依と織田奈那は「みんなが黒い羊のときもあれば白い羊のときもある」と語りました。

屋上にそれまでの登場人物が集合して僕からの愛を受け入れますが、最後には僕だけが取り残され冷ややかな目で苦しむ僕を見つめています。ちょっと前までみんな黒い羊だったのに結局は白い羊に染まるのかと思わせるシーンでもあります。

でも「みんなが黒い羊のときもあれば白い羊のときもある」という言葉は意味のある言葉で、単純に白い羊に染まらずに戦う黒い羊という構図ではなくて、立場や環境が変われば自分だって気がついたら白い羊になっているかもしれない。あるときは自分だって黒い羊を指さして笑っているかもしれない。

だから誰が白い羊で誰が黒い羊かなんて白黒はっきりさせることはできないわけです。

白い羊たちの前で悪目立ちする僕。

苦悩を表現するダンスを終えた僕は白い羊たちに背を向け前を見つめる眼差しは、どんなに悪目立ちしようとも屈しないという覚悟を感じる目です。

彼岸花を抱えうずくまる僕は苦しそうです。でも直後に死を選択する人間の眼かと言われるとそうではないでしょう。

それなら僕はいつだって

それでも僕はいつだって

ここで悪目立ちしていよう

そう閉められている歌詞のMVの結末が自らが悪目立ちすることに耐えられず自殺するでしょうか。

欅坂46『黒い羊』MV考察Vol.5 齋藤冬優花がSHOWROOMでハグの意味を解説!

2019.02.08

まとめ

今回は書きながら前回の記事を否定している部分もあってなんだか複雑でした(;^_^A

自分としては本線は前回記事の考え方ですが、こういった解釈もできるなっていう部分をどうしてもまとめておきたかったんです。みなさんはどのようにお考えですか?

ぜひブログのコメントか、Twitterアカウント@hayaken80までご意見をいただけると嬉しいです。

解釈は自由だと思っているので「お前の考え方はここが間違ってる!」というよりも「こういう解釈もありますよ」みたいな話ができるとおもしろいと思います。

ではご覧いただきありがとうございました。

↓↓考察の続きはこちらです。

欅坂46『黒い羊』MV考察Vol.3 齋藤冬優花と小池美波がブログで明かした役柄の裏設定!

2019.02.03

欅坂46『黒い羊』MV考察Vol.4 平手友梨奈と子供は同一人物?両親との関係性を考える

2019.02.04
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16 件のコメント

  • 私の解釈です。

    主人公=僕は飛び降り自殺を図った。しかし、まだ生死を彷徨っている。彼岸花を持って。
    死の世界への入り口の手前で、虐げられたり絶望している黒い羊達と触れ合う。しかし、僕はまだ自分が白い羊だと思っているので拒否されてしまう。
    しかし、次に僕が自分の過去に触れると、全て自分のせいだと自分を責めて、自分が黒い羊であることに気付く。
    そして、それでも自分は自分らしく黒い羊として生きていこうと決意する主人公。「僕は僕なんだ」と叫んで。
    そんな僕を黒い羊達は受け入れてくれたが、白い羊達には拒否された。
    そして、みんなが向かった死の世界に背を向けて、僕は独りで黒い羊として生きていく。

    • なるほど。生と死の中間という解釈はおもしろいですね。

      そして白か黒かではなく白から黒に変化する過程という見方も新しい気づきになりました。

      僕は最初自殺をしているところから始まっているということはMVの世界は三途の川みたいな場所ですね。黒い羊と出会うことで自らの真の姿に気づき最終的には生きていくと決意するという希望が込められていて好きです。

      平手がMVの後、飛び降りてまた最初の場面にループするという解釈ありますが、欅坂46が表現する曲としてはそれではあまりにも絶望しか感じないのでどうしても受け入れがたいものがあります。

  • 前回の考察も含め、とても興味深かったです。

    中盤の幸せな家族の両親が若すぎる!!というのは私も思いましたが、両親は子供の幼い頃に囚われていて気持ちは若いまま で止まっているという表現なんじゃないかな?と思いました。
    なんせ登場人物が多すぎるので、両親が老けちゃうと前半の幸せな家族と同一家族と表現出来ないからかな?と。

    「僕」が生きているか死んでいるかは意見の分かれる所だと思いますが、どっちの視点で見ても考えさせられる素晴らしいMVですよね。

    • >>両親は子供の幼い頃に囚われていて気持ちは若いまま で止まっているという表現なんじゃないかな?と思いました。

      両親は「昔はかわいかったのになぁ」って懐古ばかりしていて、いま目の前にいる子供を見ていないっていう解釈をしたくなるような表現ですよね。幸せな家族と不幸な家族が全く別の家族なのか、リンクしているのか、ってところも含めて気になるシーンです。

      幸せな家族のシーンはこのMVでもかなり過激な表現として作られている部分なので新宮監督が明確な根拠もないまま絶対あんな作りにはしないと思うんですよ。なんか分かったような、分からないようなってモヤモヤしています(;^ω^)

      生きているか、死んでるかの答えはないし、どっちかっていうと自分は平手演じる僕は死んでいると解釈しましたが、平手は生きていて苦しむ子を救い出すってストーリー解釈のほうが希望的で好きではあります。

  • 私の解釈です。
    まず、主人公は自殺をしていてその魂が、同じく自ら死に向かっている人々を救済するストーリーだと考えます。屋上のシーンですが、地面に引かれた黒い線を境に、主人公(生)とその他(死)に分かれます。生と死が逆かとも考えましたが、構図で考えると屋上の入り口からより離れた場所が死に近いはずなので、こちらのほうがしっくりきました。
    主人公は傷ついた者たちの痛み苦しみや、傷つける者たちの悪意、憎悪または生きることの辛さを一身に抱えてもがき苦しみながらも、生きろと訴えているように思えます。最後、覚悟を決めた表情で歩き出しますが、力尽きて終わる。雄々しさから一変して切なく儚いものになる表情変化の妙に、ただただ感嘆しました。立ち止まっていた人々は、主人公の歩みを見て、自らも黒線を踏み越えて歩み始めています。救いのある結末だったのではないでしょうか。
    因みに、屋上に入る前の主人公の無音のセリフが「ぼくだけでいい」だとしたらこのストーリーがよりしっくりきますね。

    あと、主人公の親ですが、子供の誕生日を祝っていた男女=屋上で主人公を引きずり回した男は花を拾い上げた女とは血のつながりがなく養子に引き取られたものという説があり、私もそう考えます。実母は、誕生日シーン後の写真の中の女性(一緒に写る幼子は引き取られる前の主人公)=屋上シーンでメンバー4人との抱擁の後に出てくる女性だと考えます。なぜかというと、主人公はこの女性との抱擁を一度拒絶し何かを訴えた後に抱き合っています。作中で主人公が拒絶したのはこの女性のみです。重要な人物であることは間違いないでしょう。
    因みに、この女性の前に主人公を抱き上げた男性が実父だと考えます。抱き上げるポーズから、赤子への高い高いを連想したので、もしかしたら主人公が赤子のころに死んでしまったか、離婚して離れたのかもしれません。なので、母に比べて主人公の反応は淡白です。あくまで予想ですが、無関係な一般人がこの場面に出てくるのは不自然に感じました。

    • >>屋上のシーンですが、地面に引かれた黒い線を境に、主人公(生)とその他(死)に分かれます。

      あー!Σ(・ω・ノ)ノ!たしかに黒い線がありますね。そこは気づかなかったなぁ。

      平手は亡くなっていて登場人物は生きているという解釈ですが、屋上のシーンでは死んだように生きていて人たちが亡くなっている平手によって生きることを選択し始めるという逆転現状がおもしろい。

      >>養子説
      養子説は知らなかった。屋上での母は分かりやすいですが、その前のスーツで平手を引きずりあげている男が何を意味しているのかはポイントですね。一番扱いが雑な人物でもあるので通りすがりのオッサンとして配置してるわけじゃないでしょう。

      • 主人公を引きずり上げている男は養父だと思います。主人公に乱暴しているとき、酔っ払っているようなので、恐らく酒乱なのでしょう。家庭内暴力が、主人公を死に向かわせて大きな原因だったのではないでしょうか。そう考えると、そのあとの養母との抱擁がより効果的に感じられますね。

    • 主人公を引きずり回した男は(×)
      主人公を引きずり回した男と(〇)
      すみません、ミスりました。

    • その解釈も有力な線なんですが、「僕」である平手は現実には女の子なわけで男の子と同一人物と捉えるのはちょっと躊躇してしまうところがあります。

      • 別人に主人公と同じ格好をさせるとは考えずらいんですよね。あの子は、男の子の恰好をした女の子なのだと思います。これは彼女がトランスジェンダーであることを表しているとも考えられます。あくまで深読みですけど。そうすると、石森さんが演じる女性との関係も気になりますね。
        彼女だけは、最初から彼女を受け入れていました。なぜかと考えた際に、主人公と親しい間柄だったとすると合点がいきます。友人なのか恋人なのかなんとも言えませんが、主人公がトランスジェンダーだとしたら、恋人なのではないでしょうか。

    • 幸せな家庭の子供、写真に写っている幼子、花を渡す子供は、主人公の過去の姿だと私は思います。

      • 全部平手って解釈ですね。

        この物語は個々の出来事が別々の出来事として捉えるのか繋がっている出来事として捉えるのかで見方がかなり変わってきます。

    • ブログ読ませていただきました。素敵なブログですね(*^▽^*)

      平手は自殺していると捉えて物語を展開していくスタイルですか。自分も最初はそっちかなと思いながらも徐々に考え方が変わっていったタイプです。

      細かい描写に対しても感情の面をしっかり見ていて参考になりました。

      • 見てくださりありがとうございました。

        僕も色んな筋を考えたのですが、自殺している物語が辻褄が合う様に思えました。
        本当こんなに考えさせられるMVはなかなか無いです。

        あとがき的なものも書いてみたので良かったら見てみてください。

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    心屋認定心理カウンセラーのハヤケンです。 アイドルの心理を研究しているうちに心理カウンセラーになってしまいました。現在はアイドルの記事を中心にブログを書いています。 執筆の依頼はお問い合わせフォームからお願いします。