欅坂46センター平手友梨奈ソロ曲『角を曲がる』MV考察!映画『響-HIBIKI-』鮎喰響と自分らしさについて

欅坂46

9月19日に行われた欅坂46東京ドーム公演のダブルアンコールで披露された平手友梨奈ソロ曲『角を曲がる』が話題になっています。

この曲は平手友梨奈が主演を務めた映画『響-HIBIKI-』のエンディングテーマとしても使われた曲で作詞 秋元康、作曲 ナスカという欅坂46の楽曲では名曲を生み出すゴールデンコンビです。さらに翌日の9月20日にはMVが公開されます。

MV監督を務めたのは映画『響-HIBIKI-』も担当した月川翔監督。振付を世界観を重視したコンテンポラリーダンスに定評のあるCRE8BOY。この制作陣に平手友梨奈が主演のMVなのだから最強のメンバーを揃えてきたという印象を受けます。

平手友梨奈ソロ曲『角を曲がる』MVの内容と歌詞の意味を考察していきましょう。

平手友梨奈と鮎喰響

『角を曲がる』歌詞についてはこちら

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『角を曲がる』は映画『響-HIBIKI-』のエンドロールで流れる曲中歌です。平手友梨奈演じる天才高校生鮎喰響(あくいひびき)を見てきた最後に平手友梨奈ソロ曲が流れるので映画を観ているときは、これは平手友梨奈が歌っているのか、鮎喰響が歌っているのか分からなくなるところです。

この点について秋元さんは平手と響どちらのことも思いながら書いたということですが、平手か響かどっちかはっきりさせる必要もないのかなと思っています。

なぜなら、平手友梨奈は鮎喰響であり、鮎喰響は平手友梨奈であるからです。

どういうことかというとそれぞれに共通する部分があるからです。実際に映画を観た人なら分かるはずです。映画『響-HIBIKI-』に登場する平手友梨奈は鮎喰響そのものでした。

作品を観ていない方のために鮎喰響について説明をすると、初めて書いた小説で芥川賞と直木賞を同時に受賞してしまう天才少女であると同時に曲がったことが大嫌いな性格で同級生男子の指を折ってしまったり、記者には跳び蹴りをかましたり、暴力的な一面もある役柄です。でもその暴力性が映画として見ている分には心地いい。

現実社会ではどれだけ相手に非があったとしても手を出したらアウトじゃないですか。だから鮎喰響の暴力性を賞賛しているわけではなく、あれぐらい自分に正直に生きられたらいいな。あんなふうに素直に生きられたら今の自分みたいに苦しむことはないんだろうな。

そんな感じで響を通して自分がいかに抑圧されているかを実感したり、自分に正直に生きたいという欲求にも気づくことになります。

平手は撮影後のインタビューで「響に改名したい」と言っています。それを秋元さんに話したらOKが出ていたというのだからおもしろい話です(笑)

平手が改名したいと思った理由は、響のように自分に正直に生きていたいと思ったから。

平手友梨奈も欅坂46というグループ全体で見ても大きなテーマとなっているのは「生きづらさ」だと思うんです。

欅坂46のメンバーはコミュニケーション能力が高い子たちではないので、学校のような狭いコミュニティで人間関係を維持していくのは神経をすり減らしてしまいます。繊細な子も多いからちょっとしたことで傷ついてしまう。だからすごく他人の目を気にする子が多いように思います。

大人になったって大きくは変わらなくて、やりがいのある仕事をやれている人がどれだけいるでしょう。自分の意思よりも上司からの指示を優先することだって多いはずです。仕事なのだからと心の折り合いをつけながらやっていくわけですが、でもそこに生きづらさを感じてしまうのが欅坂46です。デビュー曲『サイレントマジョリティー』は「物言わぬ多数派」という意味で、自らの意思を捨て生きていくのではなく君は君らしく生きていく自由があると強いメッセージを歌ったことが衝撃を与えました。

こういう曲が世の中に共感されてしまうこと自体が自分らしく生きることができていない人がどれだけ多いかの証明でもあって、抑圧されたベースがあるから鮎喰響の生き方が痛快に感じるのです。

鮎喰響とは、平手友梨奈が本心でこういう生き方をしたいと思っていた生き方をそのまんまやっていた。だから、ずっと響のままでいたいと思ったのは当然なんです。

『角を曲がる』MV考察

0:08~ステージで踊る平手友梨奈が表現するもの

まばゆいほどの光に照らされた平手は1人ステージで踊り始めます。そのダンスはとても優雅で美しいダンスです。こういうダンスを綺麗に踊るのも小学生のときまでやっていたバレエの経験が活きているように思うのですが、本人はバレエがかなり嫌だったらしいので平手本人は否定してきそうです(;^ω^)

0:20~の歌詞が始まると両手で顔を覆い視線は下を向きます。

0:21~の指差しからのギクシャクしたダンスは、誰かから指示をされたことに無理やり従ったことで心と体のバランスが崩れてしまう様子を連想させます。

0:26~それでも足を踏ん張ってこらえて立ちあがるけど、いつしかそんな毎日に疲れてしまった平手は黒い群衆の中に飲み込まれてしまいます。でも十字になって横になる平手の表情はどこか安堵の表情にも見えます。

0:41~黒い群衆の中で安らぎを得たかに見えた平手はすぐにステージ上に戻されてしまいます。欅坂46のセンター平手友梨奈には、もう歩みを止めるという選択肢すら残されていないのでしょうか。

0:45~逃げ出した。でも逃げられなかった。

光の当たるステージから逃げ出すように平手は走ってステージ裏へ。

でもそこにはまた黒子がいっぱい登場します。欅坂46の平手友梨奈として世間に知られてしまった以上、本人の意思とは無関係に周りの目はどこにいってもついてくるものです。

2018年夏に行われた坂道合同オーディションの際に平手は、一般の女の子がいきなり脚光を浴びてしまうことで世界が激変することのリスクについて危惧する発言をしていました。それは有名になるということはいいことばかりではなくて、誹謗中傷を受けて傷つく危険性もあることや、一人の女の子の人生を左右してしまうのだから審査する大人への責任とかいろんな意味があったと思います。

他人が求める姿になろうとする平手の心は行き止まりで、そんな人生なんてウンザリだから誰かの用意した直線じゃなくて自分の思う方向へ曲がったということではないでしょうか。

この流れは2:20までずっと付きまとってくる黒子によって表現されています。

走って逃げてみても、振り払っても、自分の手足にまとわりつくように追いかけてくる。そんな何者かの目線や期待に恐怖を感じる表情を見せながらも平手の表情は絶望というよりも自分自身との葛藤というほうが適切な感じがします。

2017年秋のような消耗して無気力に見える平手とは違う表情です。

2:22~もう一人の自分との出会い

黒子の集団から抜け出すとそこにはもう一人の平手友梨奈がいます。

ガラスに映る自分の姿を割って先に進むと、そこには優しく微笑みながら苦しみもだえる自分を見つめるもう一人の自分。

どんなときも微笑みながら踊る姿は平手が思う理想の自分でしょう。それに比べみんなの期待に応えることができない自分を責める平手という対照的な二人の構図です。

映画『響-HIBIKI-』の収録が行われたのは2018年春。ちょうど平手が体調不良でお休みをしていた時期です。その後、夏に復帰を果たして何度かお休みをしながらも現在も活動は継続しています。

ケガによる短期的な休養はあっても精神的には2019年になってからは安定しているように見えます。

2019年春に受けたロングインタビューで平手は「恩返しがしたい」と語っています。

恩返しという言葉が出てくるということは迷惑をかけた分の償いをしたいということじゃないですか。ではいったい何に対して罪の意識を感じているのかといえば、まさしく『角を曲がる』の世界観で求められるアイドル平手友梨奈になれない自分への意識です。

欅坂46といえば笑わないアイドルと今でも言われるのですが、それは『サイレントマジョリティー』の世界観が強烈だったということに加え、平手が一時期全く笑わなくなったときの印象も拍車をかけている気がします。世間的なイメージといえば「欅坂46=平手友梨奈」ですから平手のイメージが欅坂46全体のイメージにもなっているんです。

『不協和音』あたりから笑顔が消えて無表情、無気力な感じが続いたのは、求められる理想像を演じることに疲れてしまったこと、自分を殺してまで笑うことに対する反発など慣れないアイドル活動への精神的な反動が出たんだと思います。

それが徐々に大人になっていくうちにやっぱりステージに立ちたい。表現したい。そんな欲求が湧いてきて少しずつアイドル活動と今の自分との精神的な折り合いがつくようになったんだと思います。

平手友梨奈の自分らしさ


『角を曲がる』という曲を一言で表すと「自分らしさとは何かを自問自答する曲」となります。

周りからは自分らしくと言われるけど、自分らしく笑顔を見せるっておもしろくもないのに笑うこと自体が自分らしくないことでしょ。何言ってんのこいつ!みたいな内心ムカついてます

先日、お笑い芸人のネプチューン名倉さんがうつ病による休養を発表されました。

芸人がブレイクして忙しくなってくるとネタが追いつかなくなってくるので、放送作家にネタを考えてもらって芸人は演じるだけというケースも多い中で名倉さんはネタの自作することにかなりこだわりを持たれている方でした。

その理由は、すべったときに誰も責任を取ってくれないから。

当然ネタを作ってもらったほうが芸人としては楽ですし、芸人の立場なんて番組制作者に比べたら弱いのであれこれ指示をしてくることもあると思うんです。でもそれは作られたネタや指示通りにやってうまくいってるときはまだいいんですが、ネタをやってすべったときに観客は台本を作った作家が悪いと思わないですよね。芸人がすべったとしか思いません。

では、すべったことに対して作家やプロデューサーが責任を取ってくれるかって言ったら取るわけもなく、違う芸人を起用することを考えて終わりです。

つまり、何が言いたいかっていうと、あなたたちが求める平手友梨奈を演じていたら有名になってCDが売れて全てがうまくいくっていう未来を約束してくれるわけじゃないでしょ。だったら私は私の思うように生きるからあなたの思うイメージを押し付けてこないで!

っていう平手からのメッセージを感じます。でも平手の難しいところは他人のイメージを押し付けられたくないという思いとみんなの期待するイメージ通りになれなくてごめんなさいという罪の意識が共存しているところです。

これこそアンビバレントというか、そこまで頭のいい子じゃなければ私は私らしく生きるからっていう側面しか主張しないんですが、平手の場合は相手が期待してくれることが悪意ある気持ちではないことも分かってしまったりするから邪険に扱うこともできないんですよ。

でね、結局「平手友梨奈らしさ」ってなんだろうとずっと考えていたら、こうやって傷つき苦しみながらいろんな葛藤を抱えて生きていく姿なんじゃないかなと思うんです。

自分らしく生きたいと思う。でも自己主張をして批判されることも怖いから言われた通りに従ってみたけどやっぱり息苦しくて。

そうやって他人の意見にばかり目を向けていたら自分のらしく生きるっていうことがなんだか分からなくなってしまった。

そんな悩みながら、それでも欅坂46のセンターに立ち続ける今の平手友梨奈の生き方そのものが、実は平手友梨奈らしい生き方そのものなんだと思います。だから、平手は今の生き方でいいんですよ。悩みなんて何もなくて強さしか見せない平手っていうのもなんか違うじゃないですか。

期待に応えたいけど応えられないと悩む姿はファンからしたら愛おしいもんです。

まとめ

まさか東京ドームで『角を曲がる』を見ることができるとは思っていませんでした。MVも素晴らしい仕上がりになっていて感動ですね。

何度見ても心を揺さぶられるMVです。

今回考察した見方も自分の視点から見えたものだけであって正解ではありません。

ぜひみなさんもMVを見た自分なりの感想を大切にしてください。東京ドーム公演はぜひ円盤化お願いしますよ今野さん!

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ABOUTこの記事をかいた人

心屋認定心理カウンセラーのハヤケンです。 アイドルの心理を研究しているうちに心理カウンセラーになってしまいました。現在はアイドルの記事を中心にブログを書いています。 執筆の依頼はお問い合わせフォームからお願いします。