2019年6月号『ROCKIN'ON JAPAN』は欅坂46の平手友梨奈が表紙を務めています。
この雑誌のすごさはあまり分からないのですが女性が表紙を飾るのは異例のことなんだとか。中身のインタビュー記事についてはもかなりのボリュームで平成最後の日に出版される表紙に平手友梨奈をもってくるあたりが彼女の影響力の強さを物語っています。
中身がとても充実しているので、読みながら感じたことを少しずつまとめていきたいと思います。
平手友梨奈が笑っている
これのポスターほちい??
ご飯作り終えた笑#平手友梨奈 #ロッキンジャパン pic.twitter.com/qgPEOkoKCR— こんがりてっちー???? (@7Jm9Un4WHODpdom) 2019年4月25日
まずインタビューの内容に入る前にざっと写真を見たら珍しく笑っている写真があるじゃないですか。
半年前から欅坂46を好きになって平手友梨奈が掲載されている雑誌は全買いしてるんですが、僕の記憶が正しければ初めてな気がするんですよ。
平手はインタビュー中でもカメラが苦手と語っています。なんとなく分かりますよね。カメラに写るの大好きって感じにはどう考えても見えない。カメラマンもそれは分かっているでしょうし、平手といえば眼差しの強さに魅力があるのでクールな写真になりがち。
もちろんそういった写真の魅力もあるのですが、メンバーと一緒にいるときに見せるような自然な笑顔を写真に収めてくれる人がたまにはいてもいいんじゃないかと思っていたんです。ただ平手をモデルにして撮ろうとしたときに「はい、笑ってー」とか言っても自然に笑えるタイプじゃない。平手を撮ったことはなくてもそれぐらいは分かります。
もし平手の笑顔を撮りたいと思うなら自然と笑ってしまうような会話や環境を作り上げていかなければいけません。
以前、平手が出演するラジオ番組『SCHOOL OF LOCK!』のとーやま校長が撮影する機会があって「ゆりなちゃ~ん♪」と叫びながら異常なテンションで話しかけていて、これは完全に狂気だな・・・と思っていたら意外にも平手本人には好評だったようです。
そこから分かるのはカメラを向けられて撮られてるって思うのが苦手であって、普段の校長と話してる感じで撮影に望めたから楽しかったということなんだと思います。
つまり、ただ単純にカメラを向けてシャッターを押せばいいという問題ではなくて、自然な表情を作り出せるコミュニケーションが大切ということです。
今回掲載されている写真の中にはカメラ目線でピースをしているものもあって、いい関係性が築けていることが分かります。
大阪アニバーサリーライブについて
今回の大阪アニバーサリーライブに関してはあまり関わってないんですね。これはいいことだと思います。
「平手友梨奈は尾崎豊みたいだ」と言われることがあります。当時、10代の若者に絶大な人気を誇った尾崎豊は、まさしく若者の代弁者でした。欅坂46の楽曲もメッセージ性が強く、その中心にいる平手も同じように見られるのですが、精神的に崩壊しそうな彼女を見てると本人のキャパに対してあまりにも背負ってるものが大きすぎないかと思っていました。
2018年は平手不在の影響で武道館公演が中止。2周年アニバーサリーライブは平手不在の穴を他のメンバーが代理でセンターを務めることで乗り切りました。そして欅共和国で戻ってきましたが全国ツアーも不安定な精神状態で行うことになります。
平手の精神状態が安定しない原因の一つとして、完璧を求めすぎることにあります。
常に満足できない。自分ならもっとできるはずだというのが心にどこかにある。それは自分への期待の表れとも言えるし、常に不完全なものを提供してしまっていることへの後悔でもあり、どちらかというとネガティブな面が強く出てしまうタイプです。
でも、あくまでも平手はプレイヤーがメインであってマネージメント業務はサブだと思うんです。元サッカー選手の中田英寿が現役時代に試合直後のインタビューで作戦について聞かれると「戦術の面については監督に聞いてください」と答えていました。
自分はプレイヤーであって監督じゃない。そのスタンスでいいと思うんです。
平手の場合は、いろいろと思うところがあって秋元さんに言ってみたらOKで制作に関わるようになって以降はそれが当たり前になっていたと思うんです。
それが年末のケガによる1か月間から復帰して以降はどこか背負ってるものを下ろしたような印象を受けました。それぐらい表情が明るくなった。体は万全ではないのでそこは今でも心配していますが、メンタルが安定しているうちは大丈夫だと感じています。
センターに自分がいなくても周りのメンバーが助けてくれる。制作に関わらなくてもスタッフがやってくれる。
そうやって今まではずっと譲れないと思っていたものを思い切って投げてみた。そしたらやっぱり納得できない部分があってもうちょっとこうしたいという気持ちが湧いてきた。
これって結果だけみると1周回って同じところに戻ってきたような感じですが、中身は全く違うものになっています。完璧を求めすぎる平手は徐々に100%じゃなきゃダメという義務感に支配されていて、それは自分を叱咤する上で平手の原動力になっていた面がありますが、自分自身を追い込みすぎていた面もありました。
それが自分の意思でやりたいと思う部分が出てきたっていうのは本来のあるべき姿です。
そもそも365日悩んでる子なので満足いく仕上がりなんてないんですよ。多少のミスや修正点はライブである以上はしょうがないことで、そこをある程度受け入れていく余裕も必要なんじゃないかな。
乃木坂46『シンクロニシティ』披露
大阪のアニバーサリーライブで乃木坂46の『シンクロニシティ』が披露されたことはTwitter上でも話題になりました。そりゃそうですよ。欅坂46のライブで乃木坂46の曲をやるなんて誰も予想してなかったでしょう。
以前のラジオ番組でも公開されていたエピソードですが、その曲が乃木坂46の『シンクロニシティ』であることまでは明かされていませんでした。このエピソードを聞いて一部では秋元さんが平手を寵愛しているとか、ひいきしているとか、そんなことを言っている人もいましたが、平手に選ばせているというよりいい曲だから聴かせてみたくなったというだけの話です。
また平手が怒っているという点についてもあれこれ言ってる人もいますが、元AKB48の前田敦子がソロ曲を出すときも表題曲は『君は僕だ』になったことに対してカップリングになった『右肩』を推していた前田敦子が怒ったというエピソードがあります。
怒ったという言葉だけを見るとなんだかわがままのように見えますけど、秋元さんや運営の決定は絶対であることは前提にあるわけじゃないですか。
そこを前提にして秋元さんと平手や前田敦子の関係性があって、私はどうしてもこの曲がやりたかったということがわがままとは思わないんですよ。これがこんな曲やりたくないとか、センターじゃなきゃ嫌だとか言い始めたら問題ですけど、そういうわけではないのだから話を拡大解釈しすぎです。
デモ曲の段階で聞いてるのでおそらくまだ歌詞もついてないでしょうし、曲も今のものと違うかもしれません。でも基本的な曲の世界観は仕上がった『シンクロニシティ』と同じだとすれば『シンクロニシティ』という曲が持つ優しさに平手は共鳴したんだと思います。
欅坂46には『不協和音』『ガラスを割れ!』といった攻撃的なメッセージ性の強い楽曲や『黒い羊』『エキセントリック』といったような重い曲が多い中で、いま平手がどうしても伝えたいことは『シンクロニシティ』が表現する愛なんだなというのが印象的。
欅坂46の世界観が平手友梨奈自身の人間性と重なっているとするならばそれはある意味救いでもあるのかな。
『アンビバレント』で二律背反な矛盾する二つの感情が整理できずに困っていた。『黒い羊』で社会の中でのけ者、厄介者扱いされる人間に対する者に対してそれでも自分は黒い羊でいるという自分を貫く強いメッセージを歌いました。
欅坂46の曲はどれも人間のダークサイドを表現しているところがあります。
そんな欅坂46においていま平手が表現したい楽曲は『シンクロニシティ』という、理由が分からず涙がこぼれるときも必ずそばには誰かがいて助けてくれるよという愛だったわけです。
ここが単純に平手がやりたかった曲は実は乃木坂46の『シンクロニシティ』でしたという話に留まらない奥行きのある話だと思っています。
まとめ
今回のロングインタビューは本当に長いので何回かに分けて書きたいと思います。
Vol.1はここまで。
ここから先はまた別記事に書きますね。平手の話になるといくら文字数があっても足りないw
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