NETFLIXで独占配信されている話題の韓国ドラマ『梨泰院クラス』を1話から16話まで全て視聴完了しました。
『愛の不時着』か『梨泰院クラス(イテウォンクラス)』のどちらを見ようか迷っていたところ、職場の同僚の勧めもあって梨泰院クラスから始めることにしたんですが、CMなしの60分なので1話観るだけでも短編映画を観たようなボリュームがあります。
タイトルにクラスと付いているから勝手に学園ドラマかと思っていたら全然違って復讐劇でした。
しかも最初の3話までの内容がかなり重いので結構序盤はしんどかったんですが、4話以降はストーリーが展開されていったためどんどん進めることができました。
それではこの作品の注目ポイントや登場人物の人物像を見ていきましょう。
※以下の内容にはネタバレが含まれます。ご注意ください。
目次
韓国の差別社会を象徴する物語
長家の御曹司であるグンウォンが校内でホジンをいじめているのに誰も見向きもしない。
生徒だけでなく教師ですら長家に怯えていじめを黙認している。
そしていじめていたグンウォンを殴ったセロイに土下座を強要する会長という理不尽極まりない展開にも関わらず、こういった設定が盛り込まれているのは韓国財閥を中心とした差別社会が韓国全体に根強く染みついているからだと思うのです。
現実社会でもナッツ姫として有名な大韓航空副社長チョ・ヒョナが客室乗務員にクレームをつけ責任者を飛行機から降ろした事件がありました。
日本にも性格の悪い金持ちはいますが、ここまで露骨な権力の濫用はなかなか聞きません。
それが韓国では定期的にこういう事件を耳にします。
韓国ドラマでも財閥系の悪役がたびたび登場するところを見ると韓国人の中には財閥系の傲慢な振舞いを悪とすることが一番分かりやすい構図なのでしょう。
財閥だけでなく
トランスジェンダーとして登場したヒョニ
韓国人なのに黒人のため入店拒否をされるトニー
前科者だったセロイとスングォン
振り返ってみればタンバムの登場人物は社会的なイメージではハンデを負っています。
こういった韓国に広まる差別に『梨泰院クラス』は問題提起をしてくるのです。
でも韓国より日本のほうが人気が出てしまうのだから分からないものですね。
スアよりもイソを選んだセロイ
ネタバレありと言っているので梨泰院クラスの結末でもあるセロイの恋の行方についても語っておきましょう。
最後まで観た方であればご存知の通りセロイは15年前からの旧友でもあるスアではなく、同僚であるイソを選びました。
このセロイがスアではなくイソに流れていくくだりが始まったあたりで僕の心は萎えまくりですよ・・・
スアちゃん推しの自分としてはスアを泣かせるセロイを許すことはできないのです(# ゚Д゚)
自分の推しメンであることを差し引いてもセロイとスアが結ばれるというハッピーエンドではなく、それまで恋愛感情を全く抱いていなかったイソと結ばれるという結末にする必要があったのでしょうか。
セロイが刑務所に入って、出所してからも開店資金を貯めるために漁師としてがんばってようやく店が始まるも客は全然来ない。
1~3話は完全に長家にやられっぱなしなので視聴者である自分もストレスを感じました。
でも最後は復讐が成功してスカッとさせてくれるんだろうなと期待するじゃないですか。
復讐に至るまでの苦難を描く部分ではいくらでもアレンジを加えていいと思うんですが、最後は長年好き同士なのにすれ違っていたセロイとスアが結ばれる結末を期待していたのに、そこでセロイがイソを選択してしまったら15年も待ったスアちゃんはどうなるのよって思いますよね。
主人公であるセロイは愚直なまでに自分の信念を貫く男です。
その不器用さや誠実な態度がセロイらしさなのであれば、結末をセロイとスアが結ばれる構成にしても問題ないでしょう。
もちろん物語はこうあるべきといった固定概念だけで語れるものではありません。
しかし、やっぱりセロイの人物像を考えると恋愛においても初志貫徹で初恋の人を愛し続けてほしかったんです。
これが例えば、スアの存在がなければイソの片想いがセロイに届いたという展開もありだと思うのですが、スアの存在がありながらイソに流れる展開には残念でした。
クズはどこまで行ってもクズだったチャン一族
長家の会長チャン・デヒ、長男チャン・グンウォン、次男チャン・グンスとチャン一族は揃いも揃ってクズみたいなやつでした。
会長のセロイに対する悪行は作品の冒頭から始まっていますが終盤でも人質事件をいいことにセロイに土下座を要求しました。
長男グンウォンは出所後も反省することなくイソを誘拐しました。
次男グンスもタンバムにいたころはイソに恋心を抱く優しい兄ちゃんといった感じでしたが、いつしか欲望に飲み込まれ良心を失いました。
まだグンスに関しては救いようがあるとしても会長と長男に至っては完全に人間のクズですよ。
でも、むしろヒールを完全なヒールのままで終わらせる構成には好感しました。
これが日本の脚本家なら序盤でどれだけ悪役でも終盤では主人公に影響されて人間味を出してきそうです。
それがないのがいい。
犯罪被害者の親族は加害者に対してせめてもの償いとして被害者に対しての謝罪を求めます。
ですが、残念なことに多くの加害者が反省の弁を述べることなく加害者なりの正義を語って終わりです。
これはなぜかというと、犯罪加害者になるような人というのは自分にとって都合の悪いことがおこると、それを自らの過ちではなく他人に責任を転嫁する傾向が強いんです。
強烈な自己愛によって自分の保身のことが最優先とされるため、自分が犯罪を犯したとしてもそれを通報したあいつが悪い、あいつが裏切らなければうまくいっていたと自分自身と向き合いません。
会長にしても高校でグンウォンがいじめていたことがそもそもの事の発端なのに、そこには目を向けずセロイに土下座を要求しました。
グンウォンも暴行事件で刑務所に入った後も、自らの横暴さには目を向けずセロイやイソを標的にしました。
こういう思考の人間に対して反省を要求するのは難しいものです。
復讐がセロイにとって一生を懸けたミッションになっているわけですが、セロイの人生を復讐という憎悪で支配してしまうのは普通に考えると無駄な時間と考えて自分は自分の人生を生きてもよかったと思っています。
グンスはイソの気持ちが自分に向けられていないことに気づくとイソが冗談でいった跡継ぎに関する発言を真に受けて闇落ちしていきます。
グンスは最終話で、こんなことをしてもイソの気持ちが自分に向けられないことは分かっていたけど止まり方を知らなかったと告白しています。
グンスにとってイソの発言だけが唯一の希望であり、それにすがるしかなかったと思えば会長と長男に比べれば同情の余地はあります。
しかし、自分が変わってしまった原因をイソの責任としている時点で程度の違いこそあれ同じ血筋の人間なんだなということが分かります。
結局、都合の悪いことは全て誰かのせいなんです。
自分に逆らうものは全部切る。
そういう恐怖政治のもとで繁栄した長家は不正がスアによって告発されると今まで従っていた支援者も平気で逃げていきました。
超実利主義で結果を求めるやり方で屋台から韓国トップにまで昇りつめた実績は素晴らしいものがありますが、結果的に積み上げてきた実績によって過信が生まれたのだとすれば、やはり長家のやり方を支持することはできません。
みんなが飢えることなく生きていけるように・・・
というのが会長が起業した当初の理念だとするならば、キム・スンリョ(投資家の老人)に「あなたはなぜ事業をしている?」と問われて反論できない会長にはすでに理念などないんです。
長家の人間に下手な同情の余地を与えない設定は真逆のタイプであるセロイを際立たせる意味でも効果的でした。
パク・セロイ 信念を貫き通した男
高校時代に父親の信念を貫き土下座をしなかったことが、この物語の発端になっています。
皆さんならどうでしょう。
自分自身が責められるだけなら耐えられる人も自分のプライドのせいで親が失業することになるとしたら・・・
自分がプライドを捨てるだけで親が助かるのであれば今回だけは土下座しておこうと思ってしまう人もいるでしょう。
たしかに自分がセロイの立場であったとしたら同じ決断をできたか分かりません。
でもセロイ出所後に警察でイソに言った
「今一回 最後に一回 もう一回 一瞬は楽になる だけど繰り返すうち 人は変わる」
この言葉がその後のセロイの言動を如実に表しています。
信念といえば聞こえはいいですが、営業停止、店が潰れてしまうといった現実問題を前にすると理想主義者のたわ言のように見えるシーンがあるのも事実です。
それこそ仕事をしていれば明らかに自分の責任でないことでも謝罪をしなければいけないことがあります。
理念、信念、哲学だけで経営はできません。
それでも自分はセロイのような信念で生きる生き方に憧れます。
セロイを現実が見えていない理想主義者だと片付けるのは簡単ですが、むしろ現実問題というのは意識しなくても日々迫ってくるものです。
今一回だけ、最後に一回だけ、もう一回だけと一瞬の楽を取って繰り返すうちに変わってしまう。
目の前の利益で人を切り、店を潰す行為に対しても店とは人なんだと反論することがどれだけ難しいことか。
セロイが高校でグンウォンを殴ったシーンを見て、自分の学生時代を思い出しました。
小学生時代いじめられたときも絶対に手を出しませんでした。
理由は、その頃から将来はテレビで活躍するような芸人になりたいと思っていたので、ここでもし殴り殺してしまったら自分の夢が終わってしまうからです。
いじめてくるような人間のせいで自分の人生を終わらせるぐらいなら耐えたほうがマシだと思っていました。
ただやっぱりその考え方は今になって思うと間違っていたようです。
自分を押し殺して正当化させていくうちに反抗しないことが正しいことのように変わっていきます。
暴力を肯定するつもりはありませんが、我慢の限界を超える出来事があったときに怒れる感情さえ失ってしまってはいけない気がするのです。
セロイは長家で勤めるスアに対して自分を大切にすることは悪いことではないと説きます。
これってセロイが思う信念を貫くのも自らの優先順位1位のものを優先するというエゴでもあり、スアにとってもセロイよりも長家を優先するというエゴがあって、まずは自分自身を愛することを優先することはけして悪いことではないと理解を示すセロイの器の大きさに男としての魅力を感じました。
オ・スア リスクを負わないズルい女
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梨泰院クラスはとにかくスアちゃんのかわいさに溢れていた作品でしたね。
高校時代のショートカットの表情を見ると指原っぽさがあります。
まぁ指原よりスアのほうが美人だと思いますが、もともと自分が指原推しだったことを考えると好みの顔立ちということなんだと思います。
だからこそスアがセロイにフラれるという結末には納得できないものがあります。
この部分は先ほどお話ししたので割愛するとして、スアにも問題点がなかったわけではありません。
エピソード13でイソに言われた
「金持ちになってこい、私を苦しめる長家を潰せ。全部自分中心ね。当の本人は何もしないでお願いばかりしてる。」
という言葉はスアの心にかなり刺さった様子でした。
本人を目の前にして言ってしまうイソの性格はさておき、スアは長家に守られながら常に外野からセロイを見ている。
セロイがイソに心変わりしてしまったことは気の毒ではありますが、外から見守るだけのスアと同じ会社で同じ目的に向かっているイソ。
セロイがイソを選んだのを浮気や裏切りという見方も一理あるとしても、心理的な観点から見ればイソに心が動くことはある意味自然な行動だと言えます。
スアが本当にセロイのことを信じているならタンバムに行けばよかった。
オープン当時はまだ自分のセロイへの気持ちにも整理ができていないところもあったのかもしれませんが、タンバムが軌道に載ってからでも遅くはなかったはずです。
長家から解き放ってやると言われたセロイの言葉を信じて待つ健気なヒロインと見るのか、自らはリスクを負わずセロイにばかりお願いをしていると見るのか。
スアちゃん推しの自分としてはあまり厳しいことは言いたくないのですが、イソがいった言葉はスアにとっては図星で自分のズルさに気づかされたのでしょう。
セロイを自らのものにするチャンスはいくらでもあったのに、スアの奴隷根性がイソにチャンスを与えてしまったことを考えるとなんとも残念な結果でした。
スアはセロイとイソの幸せを願いながら実業家としての道を歩むこととなります。
もともとやり手の人間なんだからもっと早くにやればよかったのに・・・なんて思っても遅すぎますね。
スアの実業家としてのくだりはセロイにフラれたショックを忘れるために仕事に没頭しようと切り替えていると見ることができます。
そうだとするならもうそれだけで十分メッセージは伝わっています。
それなのにイケメンシェフの登場にはどういった意味が込められているのか分かりません。
演出としてはスアの運命の人登場みたいな展開ですが、視聴者としてはセロイにフラれた悲劇のヒロインという感情を引きずっている状態で、いきなり登場したイケメンシェフを好きになるというのはあまりにも軽率な展開ではないでしょうか。
あの脚本にはスアがセロイにフラれたのと同じぐらいガッカリしました。
それにしても最初はスアがセロイに「好きになるな」と言って、セロイはイソに「好きになるな」と言ってスアもセロイも好きになりました。
イソがグンスに、スアがグンウォンに、好意がないことを伝えるときって「付きまとわないで!」とはっきりと自分の意思を伝えています。
それに対して「好きになるな」は自分の意思ではなく相手の感情に制限をかけているわけで、嫌いという感情とは違う感情です。
好きになるながイコールで好きに繋がるといえば微妙ですが、少なくとも好きと言われた側の感情は動いていることの証にはなっているようですね。
チョ・イソ 絶対に振り向かせるという熱い気持ちの功罪
イソは正直言ってあまり性格のいい子ではないですね(笑)
終盤はセロイを献身的に支える側近としてICにとってなくてはならない存在になりながら、セロイにとって必要な存在であるために過労で倒れるまで働いてしまいます。
タンバムにイソのプロデュース能力がなかったらここまで急速な発展はなかったと考えると有能な人物です。
物事をはっきりと言いすぎてしまうところがたまに傷ですが、それもキャラとしてはアクセントになっています。
セロイにはスアという恋人がいて圧倒的に不利な局面からセロイの心を動かすところまで持ち込んだ一途さは感服します。
結果的に受け身のスアに対して、積極的に動いたイソの勝ちとなりました。
ただ、心理的な面から見るとイソのように絶対に相手を振り向かせてやろうアプローチはオススメできません。
というのも、物事は自分の問題と他人の問題に分けられるからです。
好きな気持ちを伝えることは自分の問題、
勉強をがんばるのも自分の問題、
ダイエットをするのも自分の問題。
こういった自分で完結できるものは好きなだけやったらいい。
でも好きな人が自分を好きになってくれるかは他人の問題です。
つまり、イソがどれだけ好きだからといってセロイがイソを好きになるかどうかはセロイの問題なんです。
こういう自分の力が及ばないことまでコントロールすることはできません。
グンスが飲み会の席でイソを女として見ているかセロイに問いかけるとセロイは「一度もない」と言い切ります。
普通はここで終わりです。
しかも目の前で自分の好きなセロイが好きだというスアがいるわけでしょう。
並の精神力では持たないと思います。
だから、セロイとイソの関係を見て諦めないことが重要という教訓にするのは厳しいでしょうね。
まとめ
序盤の重い内容とは打って変わって中盤以降は各登場人物の人間性が見えるストーリー展開になっていて一気に見てしまいました。
設定として韓国らしさが見える部分が多分に含まれているのに日本の方がヒットするのだから不思議なものです。
韓国版『半沢直樹』といったところで、逆境に立ち向かうヒーローという構成は日本人に合うのかもしれません。
この作品はNETFLIXで独占配信されています。
(ここまで読んだ方ならすでに見ているでしょうが)
サウンドトラックも発売されているようです。
ぜひみなさんの感想もコメントで聞かせてくださいね。
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