NETFLIXでアニメ『進撃の巨人』EP1~3まで完走しました。
1話ずつの展開が重い内容なので進めていくのに時間がかかってしまったのですが、中盤以降はサクサク進めることができました。
人間が巨人に食べられてしまうという残酷なシーンがある作品でありながら多くの方に支持されているのは、『進撃の巨人』という作品に隠されたメッセージがあるからではないでしょうか。
その隠されたメッセージを読み解いていきます。
人類にとっての巨人の存在
【このあと―特別総集編―第1夜放送!】
このあと24時10分よりNHK総合にて「進撃の巨人」特別総集編、第1夜 「人類と巨人の戦い」放送です!
※放送日時は変更になる可能性がございます▽あらすじはこちらhttps://t.co/GG6lrD7eVc#shingeki pic.twitter.com/sDAQzP8PvY
— アニメ「進撃の巨人」公式アカウント (@anime_shingeki) November 8, 2020
『進撃の巨人』という作品を端的に言い表すと「人類と巨人の戦い」です。
人類は巨人という圧倒的な力を前にして成す術なく多くの亡くなって姿を見ていると、大規模災害を前にしたときのような無力感があります。
『進撃の巨人』は東日本大震災以前から連載が始まった作品ですが、人類の力ではどうすることもできない巨大な力という点では共通しています。
東日本大震災の際に津波を防ぐ大きな防波堤を建築するという案もいつの間にか消えてなくなったのは、コスト面での折り合いがつかなかったからでしょう。
しかし、『進撃の巨人』の世界における壁は、次にいつ来るか分からない災害に比べ人類が巨人から逃れる方法が壁しかなかったことを考えるとより強力な危機であったことは間違いありません。
過去にも人間を攻撃してくる怪物が登場する作品はいくつもありました。
『ウルトラマン』『仮面ライダー』といった特撮ヒーローや『エヴァンゲリオン』のような人間が操縦しながら戦うものなど様々ですが、『進撃の巨人』においては変身や操縦をするわけではなく、人間が巨人に立ち向かっていくというのが特徴です。
厳密にいうとエレンのように巨人になれる人間も多く存在しますが、多くの作品が選ばれた者しか敵に挑まないのに対して『進撃の巨人』ではエレン以外の兵士も立体起動装置を使いながら巨人と戦う点は大きな違いと言えます。
これは当然生身の人間が巨人と戦うわけですから圧倒的に不利な戦いです。
ですが、どれだけ万里の長城のような壁で巨人の侵入を防いでいたとしても、エレンの母が襲われたときのように壁を超える超巨大な巨人が現れたり、壁を突き破る壁が現れるかもしれないと怯えながら生きているのだとすれば、壁の存在は一時の安らぎにはなったとしても根本的な解決にはなっていません。
そう考えれば人間が巨人に戦いを挑むのもまた必然といえます。
戦場に行くことは死にに行くようなものですが、それでも人類のため、愛する者を守るために戦いを挑む人間の勇敢さを感じられるストーリーになっています。
死への恐怖と残酷さ
オンラインくじ「ちゃれくじ」から
10月16日~11月16日まで
「スペシャルくじ」が発売決定!可愛い描き起こしミニキャラクターのグッズなど
ここでしか手に入らないグッズが盛りだくさん!ご購入はこちら→https://t.co/J5SM3pXkqk#ちゃれくじ #shingeki pic.twitter.com/yZC5H0AQcB
— アニメ「進撃の巨人」公式アカウント (@anime_shingeki) October 16, 2020
『進撃の巨人』という作品は本当によく人が死にます。
もちろんそれは人類のために心臓を捧げると覚悟を決め巨人に戦いを挑む兵士たちが多くを占めます。
そんな勇敢な兵士たちでさえ、いざ巨人に掴まれ絶対絶命の危機に陥ると「嫌だ、死にたくない」「お母さん助けて」と泣き叫ぶ姿をみると、死の恐怖に打ち勝てるほど人間は強くないと痛感させられます。
そして巨人の手の中でもがき苦しんだ後、巨人に捕食されてしまう姿は少年誌に連載している作品とは思えないほど残酷な描写です。
それでも人間の死を描くのであれば目を覆いたくなるほど残酷に描いていいと思うんです。
死への恐怖はイコール生への執着へとつながります。
残酷なまでに死を描くことで同時に命の尊さについても考えさせられる。
少年誌での連載であればそれぐらいは考えて作ってもいいでしょう。
最近の作品を見てみると、親族や恋人の死亡・妊娠・中絶・自殺・裏切りといった衝撃的な出来事が頻繁に起こります。
何も起こらない物語などつまらないので、作者がこういった手法を使って読者や視聴者に訴えかけることそのものを否定はしません。
ですが、誰かの命がなくなるという衝撃的な出来事を随分あっさり描いてしまっている気がしてならないのです。
ですから、どうしても作者が安易にこういった手法に走ってしまっているように感じてしまって、『進撃の巨人』のような残酷さを持って描くことはある意味人間の命を扱う作品としてはマナーが守られていると見ることもできます。
死ぬことは怖いこと。
この前提があるからこそ、それでも戦いを挑む人類の強さが際立ちます。
誰だって巨人と戦うなんて怖いことはやりたくない。
ただそこにエレンのように身内を殺された者が感じた復讐心、愛する者を守りたいと思う気持ちが加わったときに、怖くても誰かがこの戦いに終止符を打たなければいけないんだと駆り立てる気持ちが彼らを戦場に進ませるのだと思います。
愛国心という正義のもとに多くの若者の命が失われていったことを考えると残酷な話ではありますが、復讐心や愛は恐怖をも上回る感情であることを『進撃の巨人』は教えてくれます。
それでもいざ巨人と対峙すると怖くなって足がすくんでしまう。
こういった感情もまたリアリティでしょう。
つまり、『進撃の巨人』という作品は、巨人に立ち向かう人類の強さと巨人を目の前にしたときの人類の弱さを同時に描いており、そのバランス感覚の良さもこの作品の魅力の一つです。
エルヴィン団長とアルミンの命 どっちを取る
【「進撃の巨人」歴代キービジュアル④】
7月17日(金)『「進撃の巨人」~クロニクル~』の劇場公開を記念して、歴代キービジュアルを振り返ります!2015年に公開された、劇場版「進撃の巨人」後編~自由の翼~のキービジュアルです!#shingeki pic.twitter.com/1o8lTprTEE— アニメ「進撃の巨人」公式アカウント (@anime_shingeki) July 12, 2020
獣の巨人に挑んだエルヴィン団長、ベルトルトに挑んだアルミン。
どちらも瀕死の重傷を負い、このままでは亡くなってしまうのも時間の問題といった状況で、助かる方法は巨人化できる注射を打つのみ。しかし、注射は1つしかありません。
そうなると今後の人類のためを思えばエルヴィンを救うべきでしょう。
視聴者である自分もエルヴィンを救った方がいいと今でも思っています。
エレンやミカサのアルミンを思う気持ちも分かるんですけどね。
でも残念ながらあそこでアルミンを救う理由は幼馴染としての私情以外には考えられません。
ここでこの記事をご覧いただいている方にぜひ考えてほしいのは、アルミンの立場に自分の愛する人がなったときにあなたはエルヴィンを救うと言えるのかという点です。
エルヴィンを救うべきという客観的な話ではなく、もっと主観的に自分の愛する人を救える可能性があるのにその可能性を放棄することができるのかと考えていくと、本当に自分はエルヴィンを即決できるのか怪しくなってきます。
整理すると
A.全人類を思えばエルヴィンを救う
B.幼馴染を思えばアルミンを救う
となります。
もし全人類よりも幼馴染を選ぶのであれば、それは全人類に対する裏切りであり、兵団のルールにも反しているので懲罰の対象となることも頭に入れておく必要があります。
でも兵団の兵士たちが戦場に向かう理由は、大義としては全人類のためであったとしても本音の部分では愛する人を守りたいという気持ちが彼らを戦場へと突き動かしているとするならば、愛する人を守れない戦いに一体どんな意味があるのでしょう。
全人類の命よりも身内の命の方が大事という利己主義的な話をしているのではありません。
人間の感情というのは常に実利的な損得だけで判断できるものではなく、時に利己的な感情を捨てきれないこともあるということです。
のちに女王へと即位するヒストリア・レイスもユミルに誘拐されたとき一度は巨人と一緒に逃げることを選択しました。
ですから、エルヴィンを選ぶのが善でアルミンを選ぶのが悪とは安易に判断できないところで、人情に厚い人ほど全人類を敵に回してでも仲間のことを思ってしまうこともあるということです。
では改めて伺います。
あなたはエルヴィンとアルミンどっちを選びますか?
巨人を生み出しているのは人間
【新ビジュアル解禁】
NHK総合にて放送予定の「TVアニメ『進撃の巨人』The Final Season」の第2弾キービジュアルを解禁しました!同時に公式ホームページもリニューアル!https://t.co/tDWCeNL3bh#shingeki pic.twitter.com/SOV8gUWxof— アニメ「進撃の巨人」公式アカウント (@anime_shingeki) September 24, 2020
巨人とはそもそも何者なのか?
その正体が終盤で明らかになってきます。
エレン父グリシャ・イェーガーの種族は巨人になれる能力を持っていたことで迫害を受けていました。
巨人になれない種族の人間からすれば、いつか自分たちの脅威になるのではないかと恐れていたのです。
そしてそれは巨人になれる能力を受け継いでいるエレンにも向けられています。
この記事の冒頭で「進撃の巨人とは『人類と巨人の戦い』」とお伝えしましたが、その巨人を生み出しているのも人間だったのです。
このような人間を苦しめるものの諸悪の根源が実は人間だったということは現実社会でもあります。
例えば、戦争、環境問題、いじめ、といったものも全て人間が原因です。
ただ戦争1つをとってみてもどちらかが悪で、どちらかが善と割り切れるほど単純なものではなく、それぞれの正義がぶつかりあうから話はこじれていきます。
アニ、ベルトルト、ライナーたちにしてもエレン側の視点から見れば裏切り者ですが、彼らなりの正義があってのことでしょう。
『進撃の巨人』という作品を見るにあたって、巨人というのは人間が作り出した兵器の1つにすぎないと考えれば巨人もある意味被害者の一人と言えます。
ですから『進撃の巨人』は「人間と巨人との戦い」を描きながら同じ人間同士が戦争をしているという人間の愚かさを描き続けた作品でもあるのです。
いじめが悪いと分かっていても、いつの時代もいじめがなくならないのは、自分たちを脅かす存在に対する恐怖です。
ユミルの民を巨人化させエレンたちに巨人を送り込んでいる民族も結局はいつか自分たちが襲われるのではないかという恐怖が根底にあることを考えると、人間の恐怖心というのは正常な判断を狂わせるには十分な動機と言えそうです。
まとめ
友情、恐怖、復讐、裏切り、など様々な感情が渦巻く中で、それぞれの感情をリアリティを持って描いているからこそ見る者の感情を引き付ける魅力があります。
巨人の正体を知ると、敵だと思っていた巨人も実は被害者だった点やエレンの母を食べた巨人が実は父グリシャの元妻だったという点も含めて残酷な設定です。
しかし、そこも含めて生きていられることへの大切さが伝わるのであれば、残酷ですけどそこがこの作品の魅力に繋がっているのだと思います。
12月からはアニメでファイナルシーズンが放送されるようです。
ここからどんな展開になっていくのか楽しみですね。
ファイナルが終わったときにどんな感情を抱くのか記事にしたいと思います。
最近のコメント