何をやってもうまくいかない。
ふと、そんなことが頭をよぎったことがあります。私はあります。
がんばっているのに報われないくせにいつもダラダラして遅刻ばっかりしている人が楽しそうにしていると見ているだけでイライラします。でもね、これってその人が悪いんじゃなくて自分の中に原因があるんです。
けして自分が悪いとはいっていません。原因は自分にあるというだけです。適当すぎる高田純次みたいになってしまえばイライラも薄れてきます。
イライラの原因をひも解いていくと自分の心のクセが見えてきます。
適当すぎる男 高田純次
無責任であり続けること。 これが俺の責任だ。 by高田 純次 pic.twitter.com/lcAeGVMIZ2
— 君に誓う永遠の愛 (@iyasinomeigen) 2013年6月9日
何もかもうまくいかないと感じる人というのはまじめで、いい人なんだと思います。でも、まじめに生きるのが苦しくなってきているなもう少し適当に生きてみてもいいと思いませんか。
適当と聞いて真っ先に思い浮かぶのが高田純次。
「オレはイタリア語がペラペラなんだけど、意味はわからないんだ」
「キミ、若いね~。19か20か21か22か23ぐらい?」
こういった適当すぎる発言で芸人の中でも高田純次を尊敬するという人は結構います。発言にまったく心がないので
自分で言ったこともほとんど覚えていないでしょう。
高田純次を好きか嫌いかはここでは置いとくとしてこれぐらい適当なぐらいなほうが人生は楽しいです。
他人から適当な人間と思われていると誰からも期待されなくなります。失敗をしても高田純次さんなら許されてしまう。
そんな人間になってもいいじゃないですか。
適当なほうがうまくいく
適当に生きるというと高田純次のようなギャグを言えばいいと思われそうですが、そういった意味ではなく高田純次ぐらい適当な発想でもいいよという感覚の問題です。
肩に力が入っているときってだいたい何をやってもうまくいかないものです。いかにリラックスして必要なときだけ力を入れるか。そういった力の緩急というのは何事も重要です。
実際、まじめな人が高田純次と同じことをしようとしたって絶対にあそこまで適当にはならないから安心してください(笑)
まじめすぎる人っていうのはもともとが肩に力が入りすぎている人なわけで少しぐらい適当な生きているぐらいがちょうどいい。
遅刻したっていい。
会社を休んだっていい。
ミスをしたっていい。
人間だものミスぐらいしますよ。もっと自分を甘やかしてあげてもいいんじゃないですか。
適当なほうがあなたらしい
自分のことで考えると分かりにくいのであれば他人を見ているときに考えてみましょう。
めちゃくちゃお堅い経理部のおばちゃんと適当で仕事もできないけど明るいおっちゃん。
どっちのほうが話しかけやすいですか?
なんとなく明るいおっちゃんな気がしますよね。職場って仕事ができないと絶対にダメと思っている人がいますが適度に仕事できない人がいてくれたほうが自分のダメさ加減が目立たなくていいなと思ったりします。
結局、どっちもいていいんですよ。
適当に生きるっていうのは無理に遅刻しろって話じゃなくて遅刻は絶対にダメと決めつけていると一度でも遅刻をしたら人生の終わりのような気分になってしまいます。
でも実は周りはそこまで気にしてないってケースが多い。
そんなことよりあなたはあなたらしく笑顔でいてくれるほうがよっぽどいい。適当に生きるってことはダメなことじゃない。そのほうが自分らしく生きられるから適当に生きるんです。
さあ、明日からあなたは高田純次だと思って働いてみましょう(笑)
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