7月19日に公開された新海誠監督最新作『天気の子』を観てきました。
新海誠監督といえば前作『君の名は。』の大ヒットによって新作『天気の子』の注目度は高くなっていることもあって、公開初日のレイトショーは満席でした。
この記事ではネタバレありで映画の感想や評価をレポートしていきたいと思います。
絵の美しさで魅せる新海誠ワールド全開
新海誠監督といえば描く絵の美しさで観客を引き込むことで有名ですが、今回の『天気の子』に関しても素晴らしい美しさでした。
特にその美しさが強調されていたのは新宿の街並み。
新宿歌舞伎町のドン・キホーテやモード学園のコクーンタワーを描いたシーンは圧巻で、もうそれはイラストというよりも動画で撮った1シーンのように見えます。むしろ実際に生で見るよりもイラストにしたことによって美しく見えるぐらいです。
アニメって物語の構成も大事ですが、やはり映像ですから視覚的な美しさって重要だと思うんです。
わずか数秒のシーンに対しても全く手を抜かない映像に仕上がっていて、『天気の子』に登場する帆高と陽菜という10代の男女の繊細な心理を描けるのも風景が一枚を見れば納得できてしまうほどのメッセージを感じてしまうシーンが多数登場します。
映像の美しさを見るだけでもこの映画を観に行く価値はあると思います。
100%の晴れを約束するお天気ガール
8月だというのに雪が降るような異常気象。これも途中に登場する爺ちゃんは地球の歴史という規模で見たら100年程度の観測だと笑いますが、2か月雨が降り続けて8月に雪が降ったらどう考えても異常気象です。
そこで登場するのが100%の晴れを約束する晴れ女の陽菜。
序盤は帆高が家出をして東京に出てきてからの鬱々とした日々が描かれていて陽菜との出会いによって明るさを取り戻していく構成です。陽菜も生活に苦労していたので晴れ女ビジネスの成功は相当助かったと思うんですが、人間が気象をコントロールしてしまうことの副作用は絶対にあるんだろうなと思っていました。
案の定、後半になると天気を晴れにすると陽菜の体が消耗していること分かります。
これは構成としては予想通りなのですが、通常「晴れ女」という特殊能力を使ったビジネスによってお金を得るとなった場合、欲望に目がくらんで金儲けのことしか考えられなくなった代償として消耗するという鶴の恩返し的な構成にするんだと思っていました。
でも新海誠監督は陽菜が晴れ女をやったのはお金どういうじゃなくて、天気を晴れにすることによって笑顔になってくれる人がいたからという構成にしているのは透明感のある構成でした。
結果的に晴れ女ビジネスによって陽菜は消耗するわけですが、晴れ女ビジネスによって彼女は生きる意味を感じられたのであれば必ずしもネガティブなことではないでしょう。
銃口を向けた帆高
ゴミ箱からたまたま拳銃を見つけた帆高。
彼は「どうせおもちゃだろう」と言って、お守り代わりに拳銃をバックに忍ばせます。
そして怪しい芸能スカウトマンのようなやつにマウントを取られたときにとっさに銃口を向けて発砲してしまいます。当然このとき帆高は弾が入っているとは思っておらず、相手を威嚇するだけのつもりだったことは明らかですが、それでも拳銃が本物かもしれないという可能性は絶対に頭の片隅あったはずです。
いくら追い込まれた状況だったとはいえ引き金を引いてしまったことは共感できません。
そして拳銃を手にしたのは1度ではなく、陽菜を探して廃墟ビルに行った際に警察に取り囲まれたときにも拳銃を手にしています。
1度目の発砲は拳銃が本物ではないと思っていたのだからまだ同情の余地はありますが、2度目は拳銃が本物であることを100%分かっているわけです。
陽菜を探すためにここで捕まるわけにはいかない。そのためには銃口を向けることも仕方ないことだった・・・とは思えないんですよ。
田舎町から東京に家出してきて途方に暮れていた帆高にとって自分の弱さを隠すために武器を手にするという帆高の弱さを描くシーンで、弱さを強調させることでオカルト雑誌の編集をしながら自分の存在価値を得ていく成長ストーリーにもつながるので弱さを見せておきたかったのは分かるのですが、追い込まれると手段を選ばらないという姿勢は共感できないんです。
後半になると警察に捕まってパトカーで連行されるときに車中で陽菜が晴れ女であったことによって姿を消してしまったことや、取り調べ室に入る前に陽菜を探しに行かせてほしいと訴えるシーンがあります。
これも警官に対して言ってもムダなことは明白じゃないですか。
陽菜が晴れ女であることによって天に行ってしまったことを信じて釈放する警官がいたらそっちのほうが問題です。もちろん新海監督も警官に信じてもらうと思って帆高が発した言葉ではなく、愛する陽菜が姿を消してしまったことによって錯乱状態にある帆高を描いているだけでしょう。
敵から追われる主人公という構成にすることによって物語はクライマックスに向けて一気に駆け上がるスピード感ある展開になります。
ただ自分としては銃口を向ける帆高、陽菜を探すために釈放してほしいと訴える帆高、線路に立ち入ってしまう帆高という納得できないシーンが続けて出てきたことによって中盤以降は帆高に共感できないまま進んでしまい映画から感情が離れてしまいました。
水没する東京
晴れ女としての能力を陽菜は使わなくなります。そのことで彼女は生き続けることができます。
しかし、陽菜が晴れ女としての能力を使わなくなったことで東京は3年間雨が降り続け水没することになります。
高校を卒業して東京に引っ越した帆高は、晴れ女ビジネスを行っているときに出会った老婆のもとに行くと老婆は東京はもともと海だったのだから元に戻っただけだと言われます。
日本の中心にある東京が都市機能を失うということは、それは日本という国そのものが沈没したということです。
永遠に雨がやまない世界によって新海監督は何を表現しているのでしょう。
人間の欲望によって環境破壊が引き起こされ、そのことで異常気象が起こってしまっているという人間の悪を表現したいのでしょうか。
東京の街全体が水没してレインボーブリッジが沈んでいるシーンは「今」への否定しか見えませんでした。
自然現象である天気を一人の人間がコントロールしてしまうことの代償をあれだけ描いているということは、やまない雨も何かの代償です。
それが人間の行き過ぎた欲望を否定しているのだとすれば納得できません。
宮崎駿監督の代表作『千と千尋の神隠し』で千尋の親が無人の店で勝手に食事を始めて、いつのまにかブタになっていたというシーンがあります。僕はあのシーンが本当に嫌いで、なんて品のない描き方なんだろうと思ってしまいます。
宮崎駿監督はブタを欲望の象徴として描きます。
餌を与え続けるとエンドレスに食べ続けてしまう生き物であるブタは、欲望への満腹感を知らない人間と同じだという表現です。『紅の豚』という作品では主人公をブタとして描いているように必ずしもブタはネガティブな意味ではないようですが、少なくとも『千と千尋の神隠し』での表現は綺麗な表現でないことはたしかです。
戦争により何もかもがなくなってしまった日本は、高度経済成長期を経て加速的に豊かになっていきました。
一生懸命働けば給料は増え生活は豊かになる。そう信じて生きてきた世代の人が「最近の子は生活が豊かになりすぎてダメだ。私の小さい頃なんてまともにご飯が食べられなかったんだから」と貧しかったときを肯定するような発言をして、豊かになった社会を否定するのとかおかしいと思うんです。
あなたたちが作り上げてきた社会を今の若者は生きているのに、あなたたちが作り上げた社会そのものを否定してしまうのだとしたらそれはもうあなたたちの自己否定であって若者が悪いわけではないでしょと言いたくなります。
新海監督が東京を水没させたことにどんな意味があるのか。
その意味を映画を観ている中で肯定的に捉えることはできなかったので、後味が悪い印象のまま終えてしまいました。
まとめ
新海誠監督の前作『君の名は。』の仕上がりが素晴らしいものであったため『天気の子』も期待して観に行ったため自分の感想としてはちょっと残念な結果となりました。前作を100としたら今回は60点ぐらいでしょうか。
もちろん繊細な映像美や10代の男女のラブストーリーという見どころもたくさんある映画なので、全然ダメということもないのですが、上記したようないくつかの腑に落ちない点があったための減点となりました。
これから新海誠監督のインタビュー記事を読んで物語の意図などが分かればまた変わってくるところもあるかもしれません。
また感じることがあれば新たな記事で書いていきたいと思います。
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