9月4日に日向坂46最新曲『こんなに好きになっちゃっていいの?』のMVが公開されました。
MVを見るとメッセージ性の強い作りになっているので、映像に隠された意味を解き明かしたくなりました。前回MV考察の記事を書いたのが欅坂46の『黒い羊』だったんですが、『黒い羊』のMVは難解ではあるものの象徴的表現を使っているのでなんとなく初めて見たときから分かりました。
ですが今回の日向坂46の『こんなに好きになっちゃっていいの?』は分かったような、分からないような・・・(;^ω^)
ポイントポイントで感じるところはあっても点を線として繋ごうとするとどうしても整合性が取れない感覚になります。
最初は感じたものをポイントごとに書いて、少しずつ物語として繋げていければなと思っています。
目次
『キュン』『ドレミソラシド』とは全く違う世界観『こんなに好きになっちゃっていいの?』
デビューシングル『キュン』は恋に落ちた僕の心のときめきを歌いました。おそらく初恋なんでしょうね、好きな人ができた喜びが隠し切れない感じが伝わってきます。またそのピュアな感じがデビューしたばかりのフレッシュな日向坂46にマッチしました。
2枚目となった『ドレミソラシド』は友達だと思っていた女の子に恋をしている自分に気づいてしまいます。
この『ドラミソラシド』は、なぜ「ファ」が抜けているのかが話題になり、多くの方が考察をしていましたがイマイチしっくりきませんでした。
すでに3枚目のリリースが発表されている今になって改めて『ドレミソラシド』の「ファ」がない理由を考えてみると、恋というのは突然やってくるもので計算通りにはいかないものということを示しているぐらいで、ファでなければいけない理由はないんじゃないかなと思っています。
別にソが抜けていてもラが抜けていてもよかった中でゴロの良さなどから「ファ」が採用されただけな気がしています。
だから『ドレミソラシド』という曲を考えるうえで「ファ」がなぜないのかを探るより、友達だと思っていた女の子に夢中になってしまう僕の青春の1ページを覗いているような曲という全体像を捉えるほうが大切です。
『キュン』と『ドレミソラシド』は細かい設定の違いはあれど、大きな括りでは同じ世界観の楽曲となります。
しかし3枚目となった今回の『こんなに好きになっちゃっていいの?』では、恋をしたことへの喜びではなく「切なさ」「怖さ」「苦しさ」といったネガティブな感情を抱かせます。
あなたを想うと涙が溢れてしまうのだから、『こんなに好きになっちゃっていいの?』の世界観はハッピーな世界観ではないことが分かります。
好きな人ができると最初はハッピーだったのに、徐々に好きな人にどう思われているんだろうという相手からの目線が気になってきます。好きな人に話しかけられなくて緊張するような苦しさを感じます。
まるで日向坂46という少女が徐々に大人の女性に成長する過程を見ているようです。
『キュン』『ドレミソラシド』で一人称が「僕」だったのに対して『こんなに好きになっちゃっていいの?』では一人称が「私」になっています。秋元さん作詞の曲には珍しく主人公が女の子を表す「私」です。
この一人称を変えてきたことからも大人の女性に成長する意味合いを強調して表現した曲なのではないかと思うのです。
MV全体のイメージで表現した「切なさ」「怖さ」「苦しさ」、日向坂46というグループ全体でイメージしたときの「成長」こんな大きな視点での全体像を捉えることから始めてみました。
『こんなに好きになっちゃっていいの?』MV注目ポイント
0:02~フロントメンバーの光と苦しみ
『こんなに好きになっちゃっていいの?』のMVはセンター小坂菜緒が舞台裏からステージ登場するところからスタートします。
暗い舞台裏から眩しい照明が彼女を照らします。明るく照らすというより目を細めたくなるようなまばゆい光。
そんな強い光に照らされながらステージに向かう小坂菜緒の表情は冴えません。同じくフロントメンバーの加藤史帆の表情にも明るさがありません。
そんなフロントメンバーとは対照的に2列目3列目のメンバーは談笑しています。
ダンスが始まると全員の表情が引き締まるのを見ると明らかにフロントと後列の表現にコントラストを強くする演出が見えます。
フロントメンバーに選ばれることは注目を浴びるメリットがあると同時にグループ全体を背負うプレッシャーを感じるポジションでもあるという苦しさも感じるポジションです。
こういった欅坂46『アンビバレント』のような二律背反な印象を受けるシーンで、日の当たる場所に行きたいけどプレッシャーは感じたくない。好きなんだけど告白してフラれるのは怖い。
そんなアクセルとブレーキを同時に踏んでいるような葛藤を感じる歌詞の世界観をメンバーの表情から表現したのではないかと思えるシーンでした。
あ、これニュアンスを表現しただけで、この後にブレーキをかけられないといってるからブレーキ踏んでねーよというツッコミはなしで(;^ω^)
2:05~少女は大人へ
サビが終わると白いドレスに身を包んだ小坂菜緒が映し出され、直後にメンバーの幼少期と思われる写真が見えます。
どの写真が誰の写真かはネットの解析班がいずれ解き明かしてくれると信じて、MVが表現していることが何かを考えていきましょう。
幼少期の写真が示すものは「子供の自分」です。子供が表現するものは「素直さ」「無邪気さ」「無償の愛」こんなところでしょうか。
子どもの頃の写真が今も残っているということはそれはもうイコールで親から愛されていたってことじゃないですか。子どもの頃に愛されているかなんて疑いません。
それが大人になっていくとだんだん疑り深くなっていきます。これも心理的な成長の一つだと思うんです。他人の視線を意識するようになって羞恥心が芽生えることも思春期になれば誰でも経験することです。
2:08~は幼少期の写真の前で踊る渡邉美穂をセンターとした5名のダンスシーン。
彼女たちの前の机には無造作に散らばった物が溢れています。
VHSのビデオテープ、恐竜のおもちゃ、ルービックキューブ。
ルービックキューブは世代的に彼女たちには古すぎる気もしますが、全体的に古い物が置かれているのでVHSのビデオテープは親が子供を撮影したテープなんじゃないかなと想像してみたくなります。
あえて散らかっているように見せているのは、深読みをしすぎて悩み苦しむ彼女たちの整理できない感情を表現しているように思えます。
愛されていることを疑わなかった子供は大人になるにつれ好きな人への感情を整理できず愛されていることに自信が持てずにいます。これも大人になる際の成長痛のようなものでしょうか。
2:55~1人ぼっちのセンター小坂菜緒は覚悟を決めた
再び映像はステージに戻ってくると円になって2,3人ずつが話している中で1人寂し気な表情を浮かべるのはセンターの小坂菜緒。
伏し目がちな目線は「不安」「後悔」、さらに瞳が小刻みに動いていることから「動揺」の感情も見られます。
それなのに他のメンバーには小坂菜緒の姿が見えていないようです。
その姿を見ているとセンターに立つということは不安、後悔、動揺など様々な感情を抱えながら立たなければいけないこと。センターは常に孤独感を感じていることなどの感情が伝わってきます。
ここらへんの映像を見ていると「あれ??」と思います。『こんなに好きになっちゃっていいの?』は女の子が恋は楽しいだけじゃなく、胸が締め付けられるように苦しいもなんだという大好きだけではない感情を感じるようになった楽曲だと思って見てきました。しかし、センター小坂菜緒が抱えるプレッシャーや苦しみともリンクさせながら見るMVになっているように見えてきます。
3:19~小坂菜緒の表情がアップになると、それまで見せていた迷いは消え覚悟が決まった顔になります。それは歌詞の中でずっと迷い続けてきた「私」があなたさえいてくれれば私は何もいらないと、あなたを好きでいることへの迷いを断ち切った瞬間にも感じます。
4:12~小坂菜緒のソロダンス
覚悟が決まった小坂菜緒は他のメンバーと逆方向に進み始めます。誰に何を思われているとか関係なく私は私なんだ!と周りの目を気にしていた彼女の姿はもうそこにはありません。
扉を開けて部屋に入ると花を持ってカメラを見つめるシーンは最高に美しい画になっていますね。
ただ気になるのは手に持っている花に鮮やかさがないことです。
花を持つなら花束のような生気を感じる花を持たせたくなるところですが、木の枝とススキのような植物が見えます。床には赤と青と白の花びらが落ちていることからここもコントラストを強く感じる部分です。
手に持っていたものがセンター小坂菜緒の心を表していて、花びらはすでに落ちてしまったのだとすれば心はボロボロだということです。
しかし、悲しそうな目をしていたところから一変して、激しいソロダンスを披露してくれます。その姿からはもう弱さや迷いは見られず、どんなにボロボロになろうとも私は戦い続けるという意思表示にも感じるシーンです。
ここのシーンはめちゃめちゃかっこいい。強さ、美しさ、儚さが同時に表現されたような素晴らしい仕上がりになっています。
踊り終えるとまた表情は悲しみを表現するようになりました。
センターに立つということは、こうも彼女の心を消耗させてしまうのでしょうか。
5:05~客席から見つめる日向坂46のメンバー
MVの最後の最後で客席から見つめるメンバーの姿が見えます。
これステージで踊り終わったから客席に行きました・・・なわけはなく、着てる服がドレスなんですよ。
ていうことは、今までステージで踊るメンバーとドレス姿のメンバーは違うものとして映されてきましたが、ここで初めて同じ空間に共存したことになります。
ステージにいる小坂菜緒もドレス姿の小坂菜緒もどちらも苦しみながら生きているように見えてきましたが、ざっくりとした括りで見ればステージに立つ姿が私の中での光の部分、ドレス姿の方が闇の部分を示しているように見えます。
光も当たらない客席から無表情でステージを見つめる姿が印象的です。
3:36~のシーンでもそれまで踊っていたメンバーがまるで人形になったように感情を失っています。もう抜け殻のようになっているのは、強烈なメッセージを感じるシーンです。
でもここが具体的に何を表現しているのかはちょっとまだ整理できてないです。
アイドルの光と闇を強調するためなのか。整理できたら別の記事に書きますね。
禁断の恋
『こんなに好きになっちゃっていいの?』の歌詞を読んでいくと、好きすぎてつらいという感情だけではなく、ずっとこれ以上好きになっちゃいけないのに好きになってしまうというニュアンスが伝わってきます。
好きな人にうまく話しかけることができないとか、素直に好きと伝えることができないとか、そういう思春期の女の子特有の悩みというだけに留まらず、何か好きになってはいけない理由があるように思えます。
だってそうでもなきゃブレーキをかける必要もないし、嫌いになる必要もないし、すべてを失うリスクなんてありません。
高校生ぐらいの年代の恋だとするなら親友の彼氏を好きになってしまったのでしょうか。でも歌詞の感じからすると既婚者を好きになってしまったような大人な楽曲な感じもします。そういう禁断の恋を歌っているようです。
そしてこの好きなんだけど好きになっちゃいけないという葛藤とアイドルの華やかさの裏にある苦しさといった表と裏をうまくリンクさせながら表現しているのが、『こんなに好きになっちゃっていいの?』のMVなのかなと思っています。
まとめ
まだまとまっていない部分もありながらも公開初日に感じたMV考察はこんなところです。
そのうちメンバーのブログや雑誌のインタビューなどで語られる内容を受けてMVの見方に変化が出てきたら随時記事を更新していこうと思います。
『黒い羊』のときのように皆さんのMV考察もコメント欄にお待ちしています。直接書くと投稿失敗したときに全部消えちゃう恐れがあるのでメモ帳などに書いてから投稿したほうがいいです。書いた記事が全部消えたときのショックは計り知れないですからね(;^ω^)
ちなみにコメントルールとして他人の考察の批判はNGです。どういう受け取り方をするのも個々の自由ですから他人の考察を批判しているコメントについては承認しないのでご注意ください。
最後までお読みいただきありがとうございました。
最近のコメント